なぜ、この人と話をすると楽になるのかを読んで。
コミ障という言葉がはびこり始めた現代。
なぜコミュニケーション障害という言葉が流行りはじめたのか。
まずはじめに「障害」という意味は、本来できてあたりまえのことができない事柄についてのみ、使われる言葉だ。
だから、世間がコミニケーションは簡単なもので、ふつうにできて当然と思っているんだ。世間では当たり前のことになっている。
それってたいへんな誤解なんです。
コミニケーションは難しい。けして最初からできて当たり前ではない。
だから、コミ症という言葉はまちがってる。
そこからスタートしないといけないと思う。
でね、コミ障の人はいつまでも共感することができる。
だからすごいコミニケーターになれる可能性がある。
なんも恥じることはない。
君は最強のコミ力を培うことができるきるんだ。
コミニケーションとは、気持ちよく、楽になる営みである。意志や思想の伝達より先に、気まずさを解消すること
これが前提でコミニケーションをゲーム化して考える
1、敵味方に分かれた「対戦型のゲームではない」、参加者全員による協力プレー
相手が気持ちよくなれば、自分も気持ちよくなる。相手が楽なら自分も楽だというゲーム。周りと助け合いながら作っていく。
2。ゲームの敵は「気まずさ」
ゲームの相手は気まずさだけ。そいつを倒すために周りのみんなと、2人などで協力する。
3。ゲームは「強制スタート」
人間として生まれた以上強制的に参加させられる。必須の営み。
自己意識とはまったく関係なく、生きている限りログアウトできないゲーム。
このゲームをできるだけうまくいくよう確率を上げていく方法がある。
その基本は一つ。
相手にしゃべらせるこれだけ。
コミニケーションは自己表現ではない。
相手がしゃべってくれた事柄に対して、自分で考えて、どう動いて対応するかが大切
このコミニケーションのゲームでは、言葉は自分のものではなく、相手のためにあるものである。
自分の話なんて相手に全部伝えることはできない。
そこには相手の解釈が入ってくるから。自分の話はあまり必要ではない。
自分発信の言葉は自己満足でオッケイってこと。
伝えたいことなんてなくても、何かが伝わってしまうことが前提になっている
自分の弱点をいじられたらラッキーと思う。
弱点なんて、広げだしてさ、強がらないでネタにするくらいが必要。
自分の弱い部分を受けいれることがコミニケーションの根本の大切な部分。
自分を許すこと、それこそが、コミニケーションをとっていて楽になれる条件のような気がします。