日本人にとって幸福とはなんだろうか
人間の幸せ。
それは時代によってころころ変わる。
昔の人は、今の時代の人から見ればつまんねえ生活してるなと思うかもしれないが、
昔はそれでいて幸福に生活していたのだ。
もしくは現代人より幸福だったのかもしれない。
人間の幸福は環境や時代によって変わる。
しかしよく幸福とはわからない。
ベストセラーになっている、ホモサピエンス全史を書いたハラリ市は、これまでの人類の中で個人の幸福を求めた時代はなかったと言っている。
なぜなのか、それは
歴史は常に国のため、お金の為に人々は犠牲を払われてきたからだと思う。
これまで人々は個人の為の幸福を考える時間は少なかった。
現代に入り少しづつ個人の幸福を考える時間を得ることができた。
しかし急にできた時間に人々は持て余している。
日本人にとっての幸せはどのように変化してきたのか見ていき、これからの時代の個人の幸福を考えてみたい。
日本の近現代に作られた思想。
戦争に負けてから新たな日本は作られた。
戦後の日本は農村からたくさんの人が都市への移動とともに展開してきた。
農村を離れ、都市へ仕事を求める人であふれた。
その農村の人が日本の基盤を作ってきた。
だが都市にあふれた農村から出てきた人は頼れる存在が身近にいなかった。
その頼れる存在をになってきたのが企業の役割だった。
それはひとつのイメージを日本の社会に定着させることになる。
そのひとつは企業の発展なしには豊かさも自由な暮らしも実現しないというイメージである。
このイメージが、経済発展と企業の発展をなによりも大事なものと考える精神の習慣を作り出した。
企業なしには自分は幸せにはなれない、企業ありきの幸せという考えがここに生まれた。
この思想が大きな力を発揮して成長できたのが60年代という時代であった。
60年代の日本。
近代とはなんぞやと思われる方もいるだろう、
近代の特徴には国民の形成というのが根本にある。
国民とはなんだろうか。日本人とはなんなのか。
それはイメージである。
これといった答えはなく、ただなんとなくなイメージしかないのである。
この国民の形成をめぐる動きが、近代という時代を作りだす出発点だったのではないかと考えている。
なぜならそれは国民という個人の形成であり国民という「人々」の発生だったからである。
ひとまとめにされ、数量化された個人が「人々」として登場してくる時代が、ここから築かれはじめたのである。
この国民というイメージを作る活動が近代を動き出す源になっているのだ。
例えば、戦争、本、新聞、テレビ、cm、メディアの力が大きく影響している。
そしてイメージに覆われながら国民が熱狂し、幸福を感じれていた時代は60年代までだった。
皮肉なことに、日本は60年代に最大限に国力を拡大し、まさにそのことゆえに、70年代にはいると国家として華麗に動く余地を失うことになった。
そして、そのことの最大の意味は、国家が国民にとって面白い存在ではなくなり、日々の生活に刺激をあたえ、個人の人生を励ましてくれる劇的な存在ではなくなった。
60年代に日本はなにが起こっていたのか。
60年は高度経済成長期に当たる。
経済も大きく成長しながら、
カラーテレビ、冷蔵庫、洗濯機の3種の神器が普及し、東京オリンピック、新幹線開通、ビートルズ来日、学生運動、
このように国民が熱狂する出来事が起こっていた。
国民は日々成長する国を眺め、新しく起きる出来事に心躍らされていた。
そこには個人の幸福なんて考えなくてもいい。日々生活していれば楽しいことが勝手に起きる、そんな熱狂の時代が日本の60年代だった。
よきにつけあしきにつけ、
日本人は自分の人生上の問題を国民共通の事件として受け止め、
国家的に普遍的な現象として理解する習慣を身につけたのである。
日本人の根底にはこのような国民の考えが存在するのだ。
日本に起きる事が自分事であり、それがすべてだった。
日本がおもしろい存在ではなくなった
熱狂の60年代を経て、70年代に入ると日本は国民にとっておもしろい存在ではなくなった。
そこから日本人の幸福感の迷走が始まったのである。
周囲におもしろいものがあり、個人の人生も支えてもらった国という存在が力を失った。
そこから自分とはなんだろうという考えに人々は襲われ、不安感が覆っていた。
結局、明らかになるのは、誰もが気づかっているのは世間という顔のない他人であり、流行という無署名の没人格的な呼びかけだ、ということである
周囲に踊らされた時代から、熱狂がさめた後に残されたのは空虚である。
気づいてしまったのだ、結局世間なんてなんでもないと。
しかしだ、個人の幸せなんて考えたこともなかったのに、そんなの無理だと。
だから世間、周囲にしがみつく生き方をした方がマシだと。
まだ日本の根本には国がどうにかしてくれる。そんな考えが残っている。
世間に踊らされ、流行におどらさられる。流される人生。
個人とはなんなのだろうか?
これからの個人の時代の幸福を考える上で大切になるのが他者との関わりである。
個人はあるかないかなど色々これまで人々は考えてきたが、
結局個人というのは他者との関わりの中でしかないんだと思う。
永い人生の中誰でも一度は自分とはなにか考える。
しかし考えても考えても答えは出てこない。
哲学者の岩田靖夫は次のように言っている。
人生の意味、すなわち、生きる喜びとは、他者との交わりであるということだ。「生きる」とは「他者とかかわっている」ということなのである。
他者を愛すること、他者から愛されること、他者を助けること、他者から助けられること、それが人間の喜びである。
他者はよくわからない存在だ。
自分では完全に認識することは難しい。
自分という存在がよくわからないのに、他人のことを理解することなどできるはずもない。
だからこそなんだ。
人に感謝される、喜ばれる、楽しませる。
全くよくわからないものから反応を受けることこれに大きな喜びを受けるのが人間なのである。
認識できないからこそ面白い。
また次のようにも言っています。
知らないものをしるということは冒険であり、未知の世界の拡大ではある。
しかし、どれほど認識された世界が拡大しても、存在者は意識によって把握されたものである。
すでに、鋳造された世界が拡大しても、存在者は意識によって把握されたものである。
だが、他者は私がどうしても認識できない者として、すなわち、私の意識のうちに取り込まれえないものとして現れる。
なぜなら、もしも私の意識のうちに取り込まれたならば、それは私によって同化され消化されたものとして、他者ではありえないからである。
まとめ
自分にとって幸せとはなにかそのようなことを考えるきりがない、禅問答に入り込んでしまう。
たぶん人間なんていうのはもっとシンプルな動物である。
人間は環境の動物だと誰かは言ったが、大きく人間は環境に影響される。
だから個人なんていう考えはないのかもしれない。
これからの時代は個人がいろんなことを選び取れることができる時代だと思う。
だからこそしっかり自分の幸せはなにか考えなければならない。
引用
江戸時代が人類史上もっとも幸せだったわけ
江戸時代にロマンを感じます。
人々は陽気で、楽しそうに、活気にあふれている。
なぜそんな風になったのか
それを見ていきます。
否定されてきた日本の歴史
日本の歴史は国の中に根付いてないです。
昔の出来事は捨てるもの、乗り越えていくものだと思っています。
なぜなんでしょう。
いつの時代から歴史は否定されるようになったのか。
その最初は江戸から明治に移るときに起こりました。
チェンバレンという外国人が江戸の末期にやってきてこういうことを言っています。
新しい教育を受けた日本人のいるところで、諸君に心から感嘆の念を起こさせるような、古い奇妙な、美しい日本の事物について、詳しく説いてはいけない。
一般的に言って、教育のある日本人は彼らの過去を捨ててしまっている。彼らは過去の日本人とは別の人間、別のものになろうとしている。
これは明治時代に移りかわろうとしている時期に言われた言葉だ。
日本人は西洋の国から日本を賞賛されることを嫌うということがでてきた。
これは戦後の産物ではない。
歴史の否定から西洋に追いつくために努力をした日本
世界に追いつく為に努力し、結果的には世界を代表する国となった。
今の日本は幸福な国と表面的には見えるが。
歴史を捨て、西洋をまねすることは正解となったのだろうか。
「新しい」だけを思い求めて「古い」は捨てる。
この考えに移ってから新しい日本に変化した。
日本の文化は古いものや、自然を大切にするものだった。
それを急な方向展開に向かっていったのだ。
今の日本に自然はあるが、都市はほとんどがコンクリートジャングルになってしまったではないか。
自然は守るものではく、違う建物へと変化させられる。
それによって歪みが生まれたともいえる。
江戸時代とはなんだったのか?
逝きし世の面影の中では様々な外国人の人の文献などを参考に近代化される前の日本を描いている。
その中で外国人はほんとにみんな日本を絶賛している。
びっくりするほど。
古い日本は妖精の棲む小さくてかわいらしい不思議の国であった
このような奇妙な国というのが認識として西洋の人はもっていた。
珍奇なというのは、そのような日本の特質、彼らにとってのたんなる異文化というのではない、彼らの見聞からして世界中に類似するもののないような独特な文化に直面したとき、思わず口をついて出た言葉だったのだ。
世界から来た外国人は日本のすごさに驚かされるばかりだった。
どのような点が日本はすごかったのだろうか?
幸福な人びと
欧米人が日本に来て感じることは国民の満足していて幸福そうだという印象だった。
オズボーンは江戸上陸当日「不機嫌でむっつりした顔にはひとつとて」出会わなかったというが、これはほとんどの欧米人観察者の眼にとまった当時の人々の特徴だった。
天真爛漫という言葉が似あう人間が国民の性格だったと見える。
日本の国民は楽しそうに見え、生き生きとしていた。
なぜなんだろうか。
それは日本がまだ近代化という他の国でどんどん始まっていることが起きておらず、
人間らしい生活があったからだ。
人間らしいとはただその日暮らしで、ぺちゃくちゃ人と話し、少しだけ仕事して、
好きなことをするそんな当たり前のことが行われていたのが江戸時代だったのだ。
近代化には大きなウェイトに時間とお金がある。
お金貯めて、ローンを組んで贅沢品を買う。
それによってローンを払うために働かなくてはならない。
これは普通の人間の中に組み込まれてしまったのだ。
未来に対して恐怖を抱いている人間は今の世の中ごまんといると思う。
だからこそ江戸時代の人々は幸福だったのだ。
明日のことは考えず、日々今の楽しいことをすうる
もうこんなその日暮らしの生活は現代では考えられないだろう。
私はこれらの優しい人々を見れば見る程、大きくなり過ぎた、気のいい、親切な、よく笑う子供達のことを思い出す。ある点で日本人は、あたかもわが国の子供じみているように、子供らしい。ある種の類似点は、まことにおどろくばかりである。重い物を持ち上げたり、その他何にせよ力のいる仕事をする時、彼らはウンウンいい、そしていかにも「どうだい、大したことしているだろう!」というような調子の、大きな音をさせる
ゆたかな生活
江戸時代は幕藩体制などにより、きつい年貢などがかせられていて、国民はさぞ貧乏な暮らしで、家は朽ち果て、食べ物も少なく、最悪な暮らしをしていたのだろうと想像するだろう。
それは全く違う認識なのだ。
柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが、少しもみられない。彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている。
下田という貧困の村での言葉だ。
それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困っていない。それに家屋は清潔で、日当たりも良くて気持がよい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい。
中略
私はこれまで、容貌に窮乏をあらわしている人間を一人も見ていない。子供たちの顔はみな満月のように丸々と肥えているし、男女ともすこぶる肉付きがよい。彼らが十分に食べていないと想像することはいささかもできない。
なぜ思い重税の中でこのように豊かな生活ができたのか。
1.幕府のおこなった検知の数値が一回だけのもで税を取られていたkら
幕府の検知は1度しか行われなかった。農民たちは勤勉でよく働いていたので日々収穫量は多くなっていた。だから税の量は変わらないが収穫の量は変わるから自分たちが食べれる量は増えていった。
2.勤勉な国民性
日本の勤勉な国民性により、農産物の収穫量は年々増えていった。
周りの環境も人々が日々入念に手入れをすることで保ことができた。
幕末から明治初期にかけて観察者がひとしく認めた、前工業化段階としては最高の経済的、物質的繁栄は、まさしく「勤勉革命」の成果だったといえるだろう。
江戸時代を想像したのとは全く違った現実があった。
それは工業化される前の人類としては最高の状態だった。
外国人が見る日本で他にも言われていることは貧乏がいないということだった。
外国ではひどい匂い、格好をした浮浪者がだくさんいた。
だがそのような人が日本にはいなかったのだ。
なぜ、チェンバレンが日本には「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言ったのか、その理由を理解することができる。衆目が認めた日本人の表情に浮かぶ幸福感は、当時の日本が自然環境との交わり、人びと相互の交わりという点で自由と自立を保証する社会だったことに由来する。
中略
一言にしていえば、当時の日本の貧しさは、工業化社会の到来以前の貧しさであり、初期工業化社会の特徴であった陰惨な社会問題としての貧困とはまったく異質だった。
国民には自然があり、分け合いながら過ごした。
西洋のように個人という考えが薄かったこともあるんだろう。
個人というソトの世界とウチの世界がはっきり分けられる場合だと、分け与えるということ考えがあまり持てない。
だが個人ということがないから日本の場合では、みんながみんな友達といったような考えになり分け与えることができたように思える。
まとめ
江戸時代の人たちはなんだかとてもチャーミングに見える。
この本の中でもおもしろい話がたくさん出てくる。
質素で、礼儀はみなきちんとしており、みんな仲良く、わいわい、がやがや、仕事はしたくなくて適当。仕事は遊びという職人気質の人が多く、家はきれいで、自然を大切にする生活品にはきれいな装飾が施されている。
素晴らしい日本が江戸時代にはあった。
だが、そのような時代はもう来ない。
消えてなくなってしまった。
文化は滅びることなく、変容するだけのものだが、生活様式などに示された文明は滅びるものと考える。
今世界にある文明というのはほとんど存在していない。
生活にあらわれる文化というものだけしか残っていない。
グローバル化によって国々は同じ世界に変化させられる。
果たしてそれがいいことだろうか。
インターネットがそれをさらに加速させる。
その先に幸せな未来はまっているのだろうか?
一度立ち止まって考えることが必要ではないか。
人間にとって幸せはなにか?
考える、答えはない。
答えのある世界はこれまで一度たりとも存在したことはない。
あると思っていたのは幻想でしかない。
常に未来は変化する。
歴史は勉強するものではない。
自分の体に刻むものだ。
歴史から見えてくるものを自分なりに見てそこから未来に向けてなにができるのかを考える。それは自分だけの道を作るということだ。
今の日本には危機感しか感じない。
最近のテレビでは日本大好きな番組が多く放送されていて、なんだか気持ち悪い。
歴史を否定してきたのに、ここに来て日本大好きなのである。
急な方向転換だ。
日本には歴史の教育があまりにも根付いていないことは問題だ。
なぜか。
それは日本が今まで自発的に歴史を捨ててきたからだ。
歴史を知らなければ同じ過ちを繰り返してしまう。
歴史を否定するという日本という根っこを引き抜き、日本という根っこがないままに、花の部分だけはきれいに咲いている様に見えるが、実際は日本という花は見た目は良いだけで死んでいる。
果たして20、30年後に日本という花は地球に咲いているのだろうか?
明治政府 日本史上最大のずぶずぶ政治。
学校で行われる歴史の授業では、本当の歴史は教えてくれません。
日本では良い部分しか教えてくれません。
本当の歴史を知るためには自分で学ぶしかありません。
なぜ日本は戦争をしたの?天皇とはなにか?
あなたは説明できますか?
真実の歴史を知ることはとても大切だと思います。
真実を知るとは悪いところも良いところも両方みることだと思います。
現代にあふれている日本大好き民。
自分の国はこんなにも素晴らしいということをテレビを通して、メディアを通して発信されている国は他にはないでしょう。
日本からだけの眺めではなくて、外から見た眺めも必要です。
外から見た視点を知る為に、歴史を学ぶのです。
今回は明治政府を取り上げます。
徳川幕府から政権が移り、薩摩、長州、土佐藩を中心とした武士が政権を握り、明治政府はスタートされました。
どこがずぶずぶなのか見ていきましょう。
明治時代の「軍国主義」、「財閥」はどのようにして生まれたのか。
明治政府のスタートは戊辰戦争を経て徳川幕府を倒したところからスタートしました。
明治維新は1868年の幕末の出来事でした。薩摩藩と土佐藩の武士が中心となり行われました。
彼らは普通の武士でした。
これこそが問題の根源だった。
武士が中心となって政府を運営するには問題があった。
それは財務能力がまったくないことだった。
政府は運営のお金のことがまったくもって分からなかった。
明治政府は財務という所がすっぽり空いていたのだ。
彼らに変わって日本経済を動かし始めたのが商人財閥だったのだ。
この時代に続々と、民衆を金で支配する「財閥」が形成されたのである!
なぜ商人が支配力を握ったのだろうか。それは、明治政府の幹部に、商業に通じた者が一人もいなかったからである。
財閥が実権を握った。
その中心が三井と三菱であった。
なぜ三井と三菱が生まれ実権を握れたのか見ていこう。
三井財閥はどのように誕生したか?
江戸に三井両替商があった。これが三井財閥に変化する元店だ。
ある日、三井両替商は政府のお偉いさんの小栗上野介という人物から軍費として莫大な資金をよこせと言われた。
その金額を払うと破産してしまうことを意味していた。
これは困ったな。どうしようかなと悩んでいる時にある人物に助けを求めた。
その人物とは美野川利八という人物であった。
会話シーン
美野川は小栗家と中の良い人物であった。
三井 「美野川くん小栗家に話をしてくれんか。あんな大金うちでは出せんのだ」
美野川 「はーそうですか。まあ話してみましょうか」
そうして美野川は小栗家に話をして三井家は奇跡的に助けられた。
三井 「ありがとう。美野川くん。お礼に三井家に入ってくれんか?手厚い報酬をあげるよ」
美野川 「ぜひ三井家に入らせてもらいます」
こうして美野川は三井家にヘッドハンティングという形で入っていった。
その後三井は幕府に商才を認められ、大きく成長していった。
そして美野川は名前を変え、三野村利左エ門となり、三井の中心人物となった。
ここから三野村は才覚を表し、三井財閥を築いていく。
三野村「なんか最近徳川幕府しょーもないし、先がなさそうだな。新政府ができそうだからお金が欲しいとなったら融資してあげよう」
三井は巨額のお金を新制府に融資した。
ここから新政府を支配する三井が動き出した。
財政に弱い新政府に気づいた三野村はお金をたくさん貸しておけば、新政府の財務の主導権をすべて握ぎれることに気づいていた。
そして三井は新政府の財務を総なめにしたのである。
この三野村利左エ門は最強に頭が良く、腹黒い男である。
こうして三井は政府の中心となっていった。
三菱財閥の誕生。最強の横領の男 岩崎弥太郎
廃藩置県が行われる中で、三菱財閥を生み出した。
土佐藩の仲間、後藤象二郎がある問題を起こす所から話ははじまる。
会話シーン
後藤 「やべえ、今土佐藩めちゃくちゃ借金あるんだ」
後藤は外国商人に大きな借金をしていた。
後藤 「すまんが、岩崎。土佐藩を助けてくれんか。俺の力ではどうしようもできん」
岩崎 「そうですか。じゃあそれなら条件があります。長崎にある土佐藩の財産を僕にくれたらどうにかしてあげましょう」
この願いを聞き入れ岩崎は財産を手に入れた。
その後、岩崎は坂本竜馬が殺されると、後藤が長崎に持っていた財産と竜馬から託されていた7万両を全部頂いた。
それから岩崎は大阪にある土佐の会社を貰い、運営し、土佐藩の開運事業も握るようになった。
これにより土佐藩所有の船舶などの財産が岩崎の所に収められた。
そして、岩崎は巨額の財産の受け皿となる会社を設立し、公有財産が私有財産になるまで作業は積み重ねられた。
そして最後に明治6年3月に三川商会を三菱商会と名前変え、これによって三菱財閥が生まれた。
土佐藩の借金はどうなったのだろうか?廃藩置県の本当の狙い
同じ時代に、薩摩藩、長州藩も莫大な借金を外国商につくっていた。この金によって大量の武器を買い込み、武力クーデターで明治維新を成し遂げた。
明治4年の廃藩置県によって、薩摩藩も土佐藩も長州藩も、藩が消滅したので返済の義務から解放され、藩積処分の名のもとに、明治政府が代わって支払うことになったのである。
しかし明治政府要人が自分の金で払ったわけではない。彼らは、莫大な金額の徴税をおこない、農民から集めた血税をもとに、政府の金庫から外交商に支払ったのである。
廃藩置県には借金をちゃらにするという狙いがあったのだ。
自分たちでは払わず、国民に払わす。
なんて残酷なことをするのだろうか。
血も涙もないのが明治政府だった。
三井と三菱はその語日本の主要の産業を共に経営していき、一つの大きな塊になっていく。
こうして、金銭第一主義と名付けるべきひとつのかたまりが形成された。
この集団的な明治思想を生み出した根源は、文明力、機械化において日本よりはるかに先を歩んでいたアメリカ、ヨーロッパに追いつこうとする軍国主義と工業思想にあった。
どうだろう。
明治政府がずぶずぶ政治だったことが分かるだろう。
金が政治を支配する。
そのお金と結びついた政治の暴走は止められない。
商人が政治をするとろくなことにはならない。
明治政府の暴走が国民を操り、戦争に向かわせ、日本を破壊していった。
その間違いに向かっていった根源には明治政府があったのだ。
日本現代史入門を参考に書きました。
サピエンス全史を読んで。これは一種の自己啓発本である。
この本に書いてあるこの要約にこの本の大事なところが書いてある。
これだけでもかなり面白い。
人間が作った歴史や制度や国は虚構の上に成り立ってる。
アフリカでほそぼそと暮らしていたホモ・サピエンスが食物連鎖の頂点に立ち、文明を築いたのはなぜか。
その答えを解く鍵は「虚構」にある。
我々が当たり前のように信じている国家や国民、企業や法律、さらには人権や平等といった考えまでもが虚構であり、
虚構こそが見知らぬ人同士が協力することを可能にしたのだ。
やがて人類は農耕を始めたが、農業革命は狩猟採集社会よりも過酷な生活を人類に強いた、史上最大の詐欺だった。
そして、歴史は統一と向かう。その原動力の一つが、究極の虚構であり、最も効率的な相互信頼の制度である貨幣だった。
わかりやすくすべてを言ってくれている。
かなり直球に。
人間なんて矛盾でできている。
その人間が作るものなんだから歴史なんてのも矛盾している。
この世界ってなんか虚構でできているんじゃね?
神話、宗教、などすべて作られたものだ。
ないとも言えないし、あるとも言えない。
サピエンスがすべてを破壊した。
ホモ・サピエンスなどの他の人間に近い動物が地球上にはいた。
だが、15万年前には東アフリカで住んでいた、サピエンスが他の人類種を滅亡させたのは7万年前からである。
なぜサピエンスが力を持ったのか?
それはサピエンス同士が協力するということを始めたからだ。
どうやって協力するということができたのか?
何万もの住民から成る都市や、何億もの民を支配する帝国を最終的に築いたのだろう?その秘密はおそらく、虚構の登場にある。厖大な数の見知らぬ人どうしも、
共通の神話を信じることによって、首尾良く協力できるのだ。
神話の力というのは人々をまとめ上げ、協力を促すことができる。
協力をしなければサピエンスが大きな力を持つことはなかったのかもしれない。
それは宗教や、国家や、企業にも当てはまる。
一種の洗脳という形をとっているとも言ってもいいだろう。
効力を持つような物語を語るのは楽ではない。難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。
歴史の大半はどうやって厖大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。
人間を協力させるために様々な工夫をし、歴史は積み重ねられてきた。
それはどのように人間を信じこませようかということだった。
人類史最大の詐欺事件。農業革命。
日々豊かになっている世界で、様々なテクノロジーが出てきているが、人間の本質は狩猟採集民の頃から変わってはいないらしい。
過去200年で人間は大きな変化をした。
だが、この年月は大きな地球の歴史で見れば一瞬でしかない。
狩猟採集民の暮らしは私たちが想像するより豊かな生活があった。
健康に良く多様な食物、比較的短い労働時間、感染症の少なさを考え合わせた多くの専門家は、農耕以前の狩猟採集社会を「原初の豊かな社会」と定義するに至った
このような生活はあったが、子供の死亡率、病気したらすぐに命を落とすなどの多くの問題はあるが、私たちが想像するより暮らしが存在していたのだ。
今も昔もどこかを断片的に見れば豊かな生活がある、
だが豊かになればどこかは犠牲になる。
すべてが豊かな完璧な世界は今も昔もどこにも存在しない。
豊かな生活を実現する為に行われた農業革命もそうだった。
食べものを育てることで裕福になれると考え、食べ物を作れるようになった。
だが、果たしてそれは人類の豊かさに繋がったのだろうか?
人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。
むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。
農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。
では、それは誰の責任だったのか?王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの、一握り食物種だった。ホモ・サピエンス
がそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ。
人間の歴史は裕福になる為に進んでいっているのだろうか。
人間が追い求める豊かさはホントに正しいのだろうか。
現代の世界は本当に豊になっているのだろうか?
歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる。
現代もスマートフォンは人々を豊かにさせたがそれに縛られ新たな問題も出ている。
新たなものが出てきてもそこに付いてくる問題は目に見えない。
迫害の人類ネットワーク
人類がここまで世界を変化させ、サピエンスが大きな力を持てたのは協力する力を持っていたからだ。
人々が協力することで様々な変化を起こすことができた。
それは人間の頭の中で想像するということができたからだ。
協力の根底にあるのが神話であり、想像上の秩序である。
それが大きな力を持ち、人間が協力することができる。
人類の協力ネットワークをの大半は、迫害と搾取のためにあった。
だが人類のネットワークはほとんど良い活動には使われなかった。
人間の欲望の為に使われた。
どこかの国が犠牲になり帝国に食われていく。
それは大きな巨人が人間を襲うかのように。
人間を食べることで巨人は大きくなっていく。
今世界のほとんどは大きな巨人に食べられてしまい、食べられていない人間は少ない。いずれみんな食べられるだろう。
巨人を作り出したのは他でもない我々人間なのだ。
史上最強になった巨人はこれからどうなっていくのだろうか?
人間は信じるものがないと生きてはいけない
人はなにか好きな物や信じるものがなければ生きてはいけない。
その力をうまく使うのが想像上の秩序である。それはすべて虚構に根差している。
自由人と奴隷、白人と黒人、富める者と貧しい者の間の、以上のような区別は、虚構に根差している。だが、想像上のヒエラルキーはみな虚構を起源とすることを否定し、自然で必然のものであると主張するのが、歴史の鉄則だ。
人をまとめ上げるために想像上のなにかを使う。
権力者はいつもこの技を使う。
神などいないが、私の召使いには教えないでくれ、さもないと。彼に夜中に殺されかねないから。
現代はロマン主義が大きな力を持っている。
自分にとって自由とは、欲しいものは、やりたいことは?
この自分の軸がないと町やインターネットにある欲望に押しつぶされてしまう。
ロマン主義は、人間としての自分の潜在能力を最大限発揮するには、できるかぎり多くの異なる経験をしなくてはならない、と私たちに命じる。
自らの束縛を解いて多種多様な感情を味わい、さまざまな人間関係を試し、慣れ親しんだものを食べ、違う様式の音楽を鑑賞できるようにならなくてはならないのだ。
これらすべてを一挙に行うには、決まりきった日常生活から脱出して、幼馴染みの状況を後にし、遠方の土地に旅するのが一番で、そうした土地では、他の人々の文化や匂い
味、規範を「経験」することができる。「新しい経験によって目を開かれ、人生が変わった」というロマン主義の神話を私たちは何度となく耳にする
果たして人間は豊になるための歴史を歩んできたのだろうか?
人間とは何んなんだろうか?
この本は一種の洗脳を解き、考えさせられる
ぜひ一読してもらいたい。
bish彼女たちは最高だ。
bishのライブにやっと行くことができました。
大阪。
bisは何回かライブに足を運んだが、bishは初めてだった。
bisが解散してそれからbishをするということで、まったくどんな感じになるのだろうかと思っていたがファーストアルバムを聞いてそんな悩みもぶっ飛んだ。
やっぱり曲がめちゃくちゃいい。松隈ケンタが作る曲はとても好きだ。
吉田豪もセカンドアルバム「killing bish」は大絶賛。
ほんと「killing bish」は最高のアルバムだと思う。
たくさんのいい曲が入っているし、名曲「オーケストラ」も生まれた。
「オーケストラ」が気になる方はぜひ見てほしい。
bishの音楽性はセカンドアルバムから爆発的に広がった。
今回のライブでは鬼バンドという生のロックバンドがついてツアーを回る。
この生バンドとbishがかなりマッチしていてめちゃくちゃかっこいい。
音に合わせるのではなく、なにかを表現するダンス。
だから見ていても面白いし、なにを表しているんだろうと考える。
メンバーの個性も素晴らしい。
チッチとアイアナの歌声はすごく、パワーは半端じゃない。
今回のライブでこのメンバーの個性の素晴らしいさ、みんな好きになった。
これから彼女たちはどんどん大きくなっていくだろう。
僕は応援していきたい。
就活は絶望なのだろうか。
日本の新卒採用は最強にいい制度だと思います。
なんの経験のない、スキルもない、ぐーたらな大学生を企業は雇ってくれるから。
この制度は他の国にはない素晴らしいものです。
外国のでの就職はスキルがないと雇ってくれません。
日本の大学生は新卒という最強のチケットを持っている。
もしかしたら大企業にも入れるチャンスがあるのかもしれない。
そこから夢の人生が待っているのかもしれません。
僕は就職活動を4年の1月にスタートしました。
それまで就職する気はなかったのですがいろいろ考えた結果やろうと考え、
まあとりあえず就職ってやつです。
どこでもいいから就職します。
そこからまあいろいろ考えたいと思います。
それでいいのか全然わかりません。とりあえず働くってことが怖くてならない。
企業で実際働いてみないと、そこの雰囲気はわからないし、調べても、どんだけ人の話を聞いてみても実際問題わからないだらけだと思う。
新卒の面接は人物重視と言われる。
自分とはなにか、強みは、弱みは、どんな人間か?
そんなこと22年くらいの人生では分からないし、この問いは一生かけて問いかける問題だ。
自分なんてあるのかさえも分からないし、人間なんて環境の動物なんだからその場の環境で人間なんて変わるものだと思っている。
だから就活というのはつらいものだと思う。
自分とはこういう人間だといろいろ考え、履歴書に書き、面接官に話す。
でも就活がうまく行く人もいれば、行かない人もいる。
成功すればなにも考えなくてもいいが、落とされまくっている人はまじで絶望のなにものでもないと思う。
だって自分を否定されまくっているから。そこから禅問答の世界に突入する。
自分のことを話し落とされ、なにがダメなのか分からない。話す内容なのか、態度が悪いのか、言葉使いか、顔がだめなのか。
そのことがぐるぐる頭の中を駆け巡る。
答えのない問を考えないといけない。
これではホント頭おかしくなる。
面接官も人間なので人間が判断することなので好き嫌いがあります。正解などない。
その人が決める結果にすべてかかっている。
愛嬌のいい奴だとか、話がうまい奴、人から好かれる奴、これって結構生まれつきだとか、性格もあるが、すぐには変化させることはできないと思う。
努力ではどうもできない領域ではない。
嫌われる奴は嫌われるし、好かれる奴は好かれる。
新卒は人物重視だから素晴らしいとは言われているが、なにか大きな矛盾で出来上がっていると思う。
自分という虚構を作りあげ、最高の演技を成し遂げた奴がこのゲームは勝利するのだろう。
one ok rockの新しいアルバムのことについて書く。
僕は中学生の時からワンオクを聞いていた。大好きで周りの友達もみんな好きで人気のアーティストだった。
その中でも「nicheシンドローム」は大好きだった。これを聞くと中学校や高校の時を思い出す。
だが大学生くらいからだろうかワンオクは聞かなくなった。新しく曲が出ても全然聞く気にならなかった。ライブを見に行ってもなんか違うなと思った。
ワンオクの人気はうなぎ上りで、変に女性のファンが増えていて、ジャニーズ化していると感じた。アーティストとしては見れなくなっていた。
僕の周りでも昔はワンオクが好きだったけどもうあまり聞かないという人が多かった。
でもどうだろうか今回のアルバム。
めちゃくちゃいい。大好き。リピート再生しまくっている。
新しいアルバムが出る前に何曲か先行で配信されていたので聞いてみたら、鳥肌が立った。それから発売されてから即効で買いに行った。
全部聞いた。すべてが良かった。
今までのと違うワンオクがいた。進化していた。めちゃくちゃかっこよくて、楽曲性もすげえことになっている。彼らも外国でライブをたくさんして力をつけたんだろう。
でもこんなにも変わるものかと思った。
youtubeでニューヨークでやっていたライブを見たがすごい人気。
今回のアルバムはいろんな国で1位を取っている。
もう彼らは世界的なロックバンドだ。
今回のアルバムは好き嫌いに分かれるのかもしれない。
今までのワンオクとは違いすぎて嫌いになる人もいるのかも。
だが離れていたワンオク好きの人が戻ってくるかもしれない。
ワンオクなんて知らなかった、音楽好きの人は今回のアルバムを聞たらなんだこいつらすげえぞとなること間違いなしである。
俺の好きなワンオクが戻ってきた。最強になって。
たぶんこれからライブにも行くし、新しい曲が出てもわくわくして待つだろう。
日本の最強の国民的ロックバンドだ。