俺の日記

人生にハンドル遊びを

あなたは5回泣かされる 湯を沸かすほどの熱い愛

気になって見に行った映画。

宮沢りえが主演でそのほかの配役もとても豪華。

杉咲花オダギリジョーなど。

杉咲花が出ている映画は外れがないというのが僕の持論だ。

この子の演技はどこか吸い込まれるところがある。

若いのに芯がしっかりとあり、目の部分になにか秘めている。

 

目に魅力がある人は吸い込まれるような気がする。

 

この映画に出ている役者みんな一人一人特徴があり、とてもキャラにあってる。

ストーリーも言うことないし、役者も完璧。

なにか出来すぎた素晴らしい映画だと思った。

素晴らしい邦画が生まれた。

 

ストーリーは死を介して進んでいく。

死は重いものだが、それが思いになって形づくられて行く。

死ぬということがそれで人間が終わる、絶望的なイメージが現代にはあるが、死というのはただの通過儀礼で人間は誰も逃れることができない。

 

死をもっと大切にするということに気づかされる。

死から生まれるストーリーもそれはあるに決まっている。

それは人生という中に含まれている一つの行事みたいなものだ。

 

この映画からは死というのは悲しいものではあるが、それだけではないもっと大きなモノをこの世界に残してくれるのだ。

 

豊かさとは何か。  日本の豊かさははき違えている。 

豊かさとは何か 暉峻淑子著

 

目次

1.金持ちの国.日本

2.西ドイツから日本を見る

3.豊かなのか貧しいのか

4.ゆとりをいけにした豊かさ

5.貧しい労働の果実

6.豊かさとは何か

 

 

 

日本はなんでお金とモノが豊かなのになぜ生きづらいのかそんなことを考えていたら

いい本に出会えました。

 

 

日本の豊かさが、じつは根のない表面的な豊かさにすぎず、板子一枚には地獄が口を開けており、砂上の楼閣のようなもろさに支えられたぜいたくが崩れ去る予感を、多くの日本人が心中ひそかにかんじているのではないかと思われてならない。

 

日本は治安はよいが、基本的なところで安心のない国

 

日本は心の安心を得ることが難しい。仕事がなくなったらもう終わりなどという不安が消えることがない。これがひとつの問題である。

 

 

豊かさに憧れた日本は、豊かさへの道を踏み間違えたのだ。

毒を制し、コントロールするには、抗体としての強い「個」と、社会制度を、技術革新と資本力におくれないように育てていかなければならない

 

きれいな街並み、快適な住居、そして豊かな文化遺産と充実した社会施設がある。こういう生活環境のよさや時間的余裕は、彼らが自らの哲学に基づくいろいろな政策を長年実行してきた結果、作り出されたものだ。

 

 

著者はドイツで実際に生活をしてみて、明らかに日本とは違う豊かさがあるという。

ドイツは資本主義に対してきちんと対抗しようという考えがある。

お金が社会を覆う世界では人間と社会と自然を破壊するというのに気ずいている。

だからこそしっかりとした社会の基盤を作っている。

圧倒的に日本と違う。そりゃ生活のゆとりが全然違うわけである。

 

 

日本は先進国であっても、ほんとうの豊かさはなく、ただの経済競争国である。

その経済戦争の中に、ぼくたちもいずれ入らなければならないということは、なんともむなしいことか

 

これから社会に出るにあたっての気持ちを代弁してもらったような言葉だ。

社会に出ようとしている日本の若者でこのように考えている人は多いと思う。

日本の社会の歯車になって働き、仕事ができなければすぐに切り捨てられる。

そこには自由というものが存在しない。むなしい世界しか僕には見えない。

 

 

幸福な、豊かな社会とはどんな社会なのだろうか、

ガルブレイスは、生産効率主義から脱却できたときに、つまりその強制から解放され自由になったときにはじめて、人々が考えることのできるもの、

 

日本の社会は、経済成長の楽しみ以外に、それに代る社会の幸せや、豊かさの哲学を持っていない社会なのだ

 

街には広告の看板があふれ、人々は広告に踊らされていると思う。

広告によって欲望を掻き立てられる。そんな社会では幸福になることはできない。

 

現在、私たちは、私有財産制度のうえに、完全に個人として生きていると思いがちである。だから自己責任とか、自立自助、契約の自由等については、当然のこととしてあやしまず、また個人として生きるうえにとくに支障はない、と考えている。

しかし、個人の自由が、じつは共同体的な土台を、自然環境までひろげて考えれば、

その意味はいっそう明白になる。

 

 

この共同体としてという考えが圧倒的に日本には足りない。自分もこの考えはなかった。かなり横柄な個人主義が日本にははびこっている。

 

アイヌの人びとが、「富を貯めるとは各個人の蔵にモノをためることではなく、大地を豊穣に、豊かにし、自然の中に富を貯めることだ。」

 

この言葉こそ今必要なのではないか。個人がため込むことではなく、みんなに還元すること。お金は天からの回りものというが、自分のところで止めるのではなく、みんなに回すことが必要なのではないか。

 

 

「カネもうけ」、「モノを買うこと」という、持つことだけに表現できる豊かさではなく、持つことが、人間と人間とのかかわりを豊かにし、人間と自然とのかかわりを豊かにし、人間とのかかわりを豊かにできるような豊かさを私たちは、どのようにして創り出していったらいいのかを、真剣に考え実現していきたいと思う。

 

日本の行き過ぎた経済は国民を幸福にはしてくれない。

裕福に憧れた日本はもう憧れの裕福を手に入れた。だがそこには人間が置き去りにされた社会がある。

少し成長のペースを落として、次は人間の幸福ということをもっと考えなければならないと思う。

お金だけじゃ幸福にはなれないと今の日本は気づきはじめているのではないか。。

これからの日本は世界で初めて超高齢化の国となる。福祉などの充実など考えることはたくさんある。

国を変えることは難しいが、1人1人の思考を変えることはできる。

個人の行動や、思考を変えることが国を変える力になるということ信じている。

 

 

 

豊かさとは何か (岩波新書)

豊かさとは何か (岩波新書)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

哀愁の町に霧が降るのだ 青春がここにはある

青春などと聞くと、恋だとか、女だとか、なんだか甘酸っぱいものを想像するかもしれないが、この話にはほとんど女の話がでてこない、でもそんなものなくたって男だけの甘い青春がここにはある。

 

あとがきに茂木健一郎が書いてあってが現代は青春がなくなったといっている。

なにごとも効率化され、賢い生き方だけを学び、お金を儲けることだけに突っ走るために僕たちは教育される。こんな世界ちっとも面白くない。

 

勝新太郎はこう言っている。

「ムダの中に宝がある」

ムダが排除された世界は味気なく、なんか寂しい。

インターネットにより、世界は筒抜けになった。すべての生活が見えることでなんだかつまらなくなった。

つまらない。退屈。こんな感情が現代人は渦巻いている気がする。

 

この本の中心は5人の男が共同生活することが中心に描かれている。

平凡な毎日をただグダグダと過ごす。でもそんな日常でもいろいろなことが起きるし、その小さなことが面白い。人間の生活でそんな面白いことはそうそうない。

でも平凡な生活にこそに幸せを見出すことが幸福になる手っ取り早い方法だなと思う。

この5人のように毎日を暇を持て余す生活こそ人間の根底の生活なんではないか。

 

無駄は省く、ただ近道をして生きる。

それじゃおもしろくない。

回り道して、無駄なことをして見える景色もある。

道中の景色を楽しむのもありだと思う。

 

日々の生活に追われ、なんだか味気ない毎日になっているあなたに。

若いころのなんだかよくわからないが、夢にあふれてた頃を思い出すために。

ぜひ。

 

 

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四月は君の嘘 すげえアニメが日本にはたくさんありますな。

ピアノとバイオリン。

音楽を通して行われる会話。恋。

音楽と恋がミックスされた物語でした。

めちゃくちゃおもしろい。

音楽の楽しみ方、表現の仕方がすごい。ピアノの音に広がる気持ちが刺さる。

とても心地のいいピアノが広がる。

 

ピアノの天才ゆえの悩みが主人公を成長させる。天才ゆえに周りに影響を与える。

憧れの対象にされ、周りの人間を巻き込む。

そこから自分も成長し、周りも成長する。

 

言葉で気持ちを表現することはなんだかチープなんだなと感じる。

なにか言葉ではうまく表せないことが絶対に心にはある。

言葉ってのはツールであって気持を上手く言葉に乗せるのは難しい。

でも音楽に気持ちを乗せて表現することは言葉を使わないけど、なぜか心には響く、伝わる。

 

人の心を表現する方法は言葉以外にたくさんあって、モノに心を憑依させる行為は人間の素晴らしい行為なんだと思う。

 

言葉ではなんだか軽い。

音の言葉と、字の言葉では響き方は違う。

音はダイレクトには伝わるけどずしりとは刺さらない。

でも字で表すことでなにか創造力みたいなものが乗ってパワーが増す気がする。

人はそれぞれ違うから他人の考えていることってわかるはずがない。

だから相手の気持ちに少し余白を残すような表現がいいのかもしれない。

押しつける表現はただ自分の自己満足でしかない。

相手の創造する力を生かしておかなければならない。

考えさせなければいけない。

だからアニメとか映画とか本とか良いよな。

自分の想像する世界と映像の世界観が自分の中にある世界とマッチングした時、幸せを感じる。

その目に見える世界が、自分の中に生き続ける気がするんだ。

創造が人間を豊かにするし、優しくしてくれる。想像力はとても大切なものである。

心をおろそかにするのはよくない。

なんだか現代は人間が作り出しツールに踊らされて心が置いてけぼりにされてる気がしてならない

 

 

日本という国の価値観とは

やっぱり日本は失敗を許されない国ですな。

 

不倫などいろいろ問題が今年に入って出てきているがとてもいい人という感じの人にそういうことが起きている。

 

ポジティブな人が少し悪いことをする、もう完全に善が悪に一気に色が変わる。

だが悪そうな人が少しいいことをするだけで黒がだいぶん明るい色に変化するなぜだが

悪そうな人だけど根はいい人だねということになりがちである。

 

コスパでいったら完全に少し悪いほうが生きるのが楽である。

いい奴が少しでも悪いことしたって別にそれで腹黒いやつとはならないはずだが、

現実はなぜだかうわべはいいやつだけど、根は悪い奴かもなってなるんだよな。

なぜだがそんな見方が身についている。

日本特有の問題だろうか。

 

あまりにも失敗に対する許容の範囲が狭すぎる感じがする。

就職も失敗するだけでもうその後の人生はもうお先真っ暗ってなってしまう。

だれか安心感をくれよ。

 

日本の価値観はとてもいいものもあると思う。

だが一人一人の価値観が揺れすぎていて、みんなが生き方に悩んでいる気がする。

日本の考え、宗教というものはなんだかわかりずらい。

今のこの時代たくさんの価値観であふれまくっている。

だからメディアとかの価値観にすぐ流されてしまう。

日本が好きです、好きです宗教ができあがってしまう。

そしてお金という分かりやすいものに行ってしまうんだよな。

なんだか日本好きなのはいいけど全然日本の国ことは考えてはいないと思う。

漠然と日本がいいですーってな気がする。

 

もっと自分で吟味して考えていかないとなにか大きなものに飲み込まれてしまう気がすんだよな。

 

日本の映画はどうして落ちているのか?

日本の映画のレベルが落ちているということで。

僕は日本の映画も好きだし、海外の映画も好きです。

日本の映画には日本のいいところがあると思うし、海外には海外のいいところがあると思う。

 

今の時代映画はパソコンでもスマホでもすぐに見ることができる。

手軽に見れるというのが映画だと思う。

でも昔は映画に対してのワクワク感があったし、あの大きなスクリーンで見ることに大きな価値があったと思う。

映画は大きスクリーンで見るものから手軽に見れるものに変わってしまった。

そこには見る人の態度の変化があると思う。

 

今映画館で見る人は新作を楽しみにして映画を見るか、映画が好きなでたくさん見ている人くらいしかいないと思う。

テレビやcmで大きく宣伝されている映画が気になって見に行く。

そういう人は多いと思うが、ほんとに映画が好きでいろんな映画を映画館で見るという人は少ないように思える。

ましてや若い人は見に行く人は少ないと思う。

僕の周りでもほんとに少ないように思える。

もっと映画を見ることでいろんな感情を受け入れることができると思う。

 

いろんな映画に触れないから、いい映画なんてわからないし、

ましてや映画館に足を運ぶ人も少ない、映画を楽しみにしている人も少ない。

そんな状況だからこれから若い人からいい映画監督は出てくるんだろうか。

若い人の感情が劣化していってるのではないか。

 

しかも流れ的に原作を映画化が多い。

それに興味を向ける人は多いがほかに興味を向ける流れが今ないように思える。

もっとおもしろい映画を欲しがる雰囲気が欲しい。