俺の日記

人生にハンドル遊びを

「幸福」と「自由」について考えてみる。

幸福と自由について考えてみる。

なんともおおざっぱとした価値観である。

人それぞれ幸福と自由は違う。今世界は豊かになってきた。

そこには「幸福」と「自由」というものがただよっている。

しかし少しはき違えるとそれは自分に害をあたえることになる。

今の現状で満たされていることも知らずその価値観に踊らされどこかにゴールがあるかのように思わされ終わりのないゲームをし続けることになる。

 

 

「幸福」と「自由」はビジネスになる。

人間は自由がいいし、幸福も欲しい、それは誰にでも当てはまる。

その誰にでも共通するものを刺激することでビジネスとなる。

もう売るものも出尽くしたので今度は人の心に侵入して、価値観を商売としてするようになった。

 

心までも資本主義に飲み込まれるようになった。もうこれではどこが人間か分からない。

人間の体すべてが資本主義に飲み込まれてしまった。

悲しい世界になってしまった。

 

飲み込まれてしまった人間を取り戻す作業が少し必要なのかもしれない。

人間の文化をしっかり見つめなおす。

人間として生み出すものを大切にする。

 

人間どうしで奪い合うことはもう終わりにしてみんなで協力していく時代だろう。

だがそれはとても難しいものとなった。歴史上そんなに平和な時代はまだ訪れたことはない。

どこかで争いは繰り広げられている。

 

ここらで一つ考える時間を作ろうではないか。世界を見ることが必要ではないか。

日本の同調圧力はすさまじい。この国に住んでいればこいつから離れることは難しい。その雰囲気から脱出することがもうそろそろ必要になってくるんではないかな。

島国日本から世界に向けていろんな所に出ていって様々な価値観を吸収することが必要ではないか。もう日本だけの価値観ではいい国になることは難しいと思う。

 

オリンピックも開催される中で外国人をおもてなしする精神はとても日本人は素晴らしいものがあるが、どこかで外国人とは一線引かれている。

その線を超える努力が必要なんじゃないか。

まずその努力をしようじゃないか。

 

日本で生きづらいと思っている人も世界に出ればその生きづらさも変わると思う。

どこか若い時期に外国に行くという制度を作った方がいいのかもしれない。

一回外の世界を見ようではないか、話はそれからだ。

 

僕たちが生きる時代はさらに大きな変化が未来には訪れることだろう。

ロボットが台頭してきてほとんどの仕事追いやられるといわれている。

ロボットに出来る仕事はやらしといて、人間にしかできないものを作っていくことが

人間に残されたことだろう。

これからは自分の好きなことをする時代になるのかもしれない。

小説書いたり、絵かいたり、歌うたったり、やりたいことをやれる時代なのかもしれない。

そのためにまず自分の好きなことを少しづつでもいいからやっていくこと。

 

未来に悲観することは必要ない。

 

資本主義に希望はある―――私たちが直視すべき14の課題

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資本の世界史 資本主義はなぜ危機に陥ってばかりいるのか (atプラス叢書12)

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就活はつらいんですよ

みなさん就活頑張ってやってますか?

みんな不安で、焦りながら、苦しみながらやっていることでしょう。

 

僕も就活はしないといけない時期です。でも僕はもうやめました。

逃げました。

てか就職はまだしないです。

 

絶対に就職しないとダメという価値観が絶対的にある。

それはいいとしよう。でもほかの選択肢もあるはずです。

僕は違う選択肢に行くというだけです。逃げではありません。

 

もう日本はなんでもあります。でも日本はこれから経済的にも勢い的にも下がっていくことが目に見えている。そんな国の中で生きていかなければならない。

どうやって生きていくのかこれから。

 

20代なんかでやりたいことがないだの嘆いても意味ないです。

やりたいことなんてないんですよ。

結局将来が不安で、お金のこともあるから就職するだけです。

やりがいなんて自分で作るもんです。

なにごともやってみないとわからないです。やっているうちにやりがいを作っていくのです。

 

今皆さんの周りの人は就活に苦しんでいるでしょう。

苦しんでいる人とつるんでいると気持ちは伝染していきます。

今の時期はつるまないほうが絶対にいい。

就活楽しんでいる奴なんてほんと一握り。

みんな「やりたいことねーな」と嘆いてるやつがほとんどです。

そんな人とつるんでてもなにもいいことが起きないです。

だから黙って1人でやるほうがいい。

 

日本は就活という考えをもっと変えていかないといけないと思う。

ドイツでは20歳くらいで就職するとかわいそうな目で見られます。

彼らの国では「ワンダーフォーゲル」という言葉があって大学卒業後の若者が世界を

旅して見て回ることが習慣化している。

そんな国もあるんです。世界はめちゃくちゃ広い。日本の価値観だけで生きていては狭い世界でしか生きれない。

自分の中の世界を広げればいろんな選択肢から選ぶことができる。

 

お菓子に例えると

今はうまい棒しか知りません、だからうまい棒の中のいろんな味の中からしか選択することしかできない。でもお菓子というのは他にもたくさんあって、いろんなお菓子をあるとき知りました。まじかブラックサンダーっていうこんなおいしいお菓子もあったんだと知ることができました。その瞬間からほかのお菓子を食べることができる。

 

価値感が狭いということはうまい棒しか選べないということ一生うまい棒を食べるということ。こんなんじゃ面白くない。

 

日本の若い人ももっと世界を見る必要があるんではないだろうか。

 

 

女と男の間に友達という関係は存在するのだろうか。

男と女の間に友情は存在するのか。

しないのか。

どうなのでしょうか。

俺は存在すると思うけど、それはその状況によると思う。

 

坂上忍

「女と男はヤルかヤラれるかの関係」

と言っていた。

それは間違いのない真実だ。

男ってのは常に女の子とヤリたいと、どこか心で思ってる。

 

女の子がきれいな子であれば男は欲が湧いてくる。

どちらかがヤリたい気持ちが動けばその関係は崩れる。

まあ友達の定義はいろいろだからなんとも言えないけど。

どちらかがヤリたいと思ったら関係性は変わっていく。

人間の性欲というのが友達関係を邪魔するのである。

 

だから性欲が旺盛な若い時期は女友達という関係性であってもどこかですぐ崩れる可能性は高いと思う。

 

 

年齢がある程度高くなり、仕事などもして、結婚などをしてある程度足場が固まれば

そこから本当の女友達というのができるんではないだろうか。

その女友達というのは心で通じ合った親友ができる確率は高いと思う。

 

 

僕には幼なじみの仲の良い女の友達がいる。

その子はとても美人である。その子とは2人で遊ぶことが多く、同じ部屋で寝泊まりしていた。

もう完全に僕の性欲が我慢できないのである。

だってかわいいのである。若くてぴちぴちなのである。

僕が完全に相手に対して好きという気持ちが強くなった。

そうなればもう友達とは言わない。

どちらかが気持ちを持てば関係性は変わるのである。

僕はその子に告白をした。

でも相手はそんなことを一ミリも考えたことがないと言われた。

 その子はこれまでも友達と思っていた人から告白され関係が崩れたと言っていた。

 

 

その子は罪深い。

いや僕が悪いのは分かっているが、その子は好きという気持ちを俺に与えた。

そして俺を傷つけたのである。

彼女はなにも思っていないかもしれないが、俺にはかなりのダメージを食らわせた。

 

そこからは俺はもう普通の友達には戻れないんだと思う。

だって可愛いんですもの。

若い奴は性欲には絶対勝てない。

かわいい子には別物の目で見てしまうのだ。

それは友達ではない。

 

そう考えればかわいい女性というのは大変だと思う。

友達と思っていた男から好きと言われる。それはとてもショックなことだろう。

好き=性的な目で見られていたということである。

かわいい女性はそうやって言われることが多いんだと思う。

 

ブサイクな女性も大変だが

きれいな女性も苦しい思いしてるんだと思ったわけです。

 

 

 

恋とは好きな相手を追いかけることであって、

男女の両方が好きになってしまったらそれはもう恋とは言わない。

 

2人とも好きになった瞬間から愛は始まる。

 

恋愛というのは愛に恋をするということである。

 

恋とは赤くなる心と書く。心が燃えることなのだ。

愛に恋が加わった時それはビッグバンを起こす。

それにより爆発的なパワーが発生するのだ。

 

心が燃えるということこそ生きるということだ。

こんな経験は何回もあるものではない。

心を燃やしてみようではないか。

 

恋こそがすべて。愛こそがすべて。

 

 

お前らに量産型大学生にならないように大切な事を教える

 

春を迎え、長い長い受験勉強を終え、さあ大学生になったらおもいっきり遊ぼうと思っている君。
その君に大事なことを教えたい。君が大学生になりいろんなことを経験すると思うが、なんとも無駄なことが大学生活には多い。
この大学期間は人生の夏休みと揶揄され、楽しいものである。そしてこの大学生という結構なんでも許されるこの特権の時期に無駄なことをすることは大切なことになる。

これからの人生にいい種となり良い人生に運んで行ってくれるだろう。
無駄なことをして大切なものが見えてくる。自分がしたことがないことをするべきだ、自分の世界を広げることがこの時期がとても重要だと思う。

 

だが、無駄の中でも特に無駄なことが存在する。

変なことに悩みに時間を奪われ、なにも生み出さない無駄な時間を過ごすことがある。
無駄な時間は大切だと言ったが無駄なことに時間を割きすぎるのはなんとも勿体ないことである。大学生には時間が無限にあるような気がするが、

時間を意識して生活することとはとても大切なことである。

以下に大切なことを述べる。

 

 

1、スマホをいじる時間を短くする

大学生なんぞ授業中スマホをいじって、休み時間もスマホをいじって、暇があればいじって、家に帰っていじって。
もういじりまくり。俺はもうこれは一種の麻薬でもあると思う。スマホは楽しいものだからこそ時間を割いてしまう。

それはとても危険なことだ。自分で自覚を持って、スマホに対しての制御が必要である。
そうしなければスマホに自分が侵されてしまう。結局いじっててても何も生み生み出さないぞ。

 

 

 

2.本をよめ。
大学生はそれこそ時間クソほどある。暇な時間が多すぎるのだ。だからこそ本をよめ。インタ―ネットで情報収集することはいいが、
それはそれとして本として読むほうが効率的と感じないが、確実に頭がよくなるし、知識が蓄積されていく。
俺は大学に入りクソほど本を乱読している、

今3年目だが実感としていろんな本からの知識が積み重なり、それが繋がってきた実感がある。
ネットでは自分の知りたい情報をすぐに手に入れることができるが、自分の知らない情報が入ってこない。だから自分の枠をこえて知識が広がっていかない。
本は自分の興味がある本を買ってもそこ書かれていることは手に入れたい情報に関して他にも付加価値としていろんなことが書かれている。

そこで自分の世界は確実に広がっていく。

それがなんとも楽しいことである。本を好きになった人なら確実にわかる。
暇な時間があればスマホをいじるより本を読んだほうが確実に生産的な時間になる。本をよめ。

 

 

3.友達との付き合い方を考えろ
大学に入ると友達ができるかとても心配になる。

でも安心してほしい、みんな心配である。だからみんな友達が欲しくてギラギラしている状態である。
誰でも話かければ、コミ症じゃない限りは話返してくれるしすぐ仲良くなれる。

それで友達もすぐできる。コミニケーションが得意ではない俺が言うから間違いない
最初はだれでもいいからたくさん仲良くなる。そこから日が経つにつれて友達の選択がはじまる。これはどの大学生でも当てはまることだ。
最初に仲良かった奴などと疎遠になったり、挨拶を交わす程度の友達になっていく

いわゆる「ヨッ」友である。大学構内で会う時お互いに「ヨッ」と言って過ぎ去るという顔見知りだけの関係になっていく。その友達の選考が勝手に自分の中で行われ、残った友達が本当に仲の良い友だちである。これは間違いがない。親友である。
だからとりあえず誰とでも仲良くなっておいてそこから親友を見つけていくステップをだれでも踏むので、とりあえず話しかければ友達はなんとかなる。

 

 

4.恋をしろ
すまない。なに言ってんだ気持ち悪い。恋なんてめんどくせえ。そんな方も多いと思う。俺もそんな感じだった。若い人達は恋愛をしないということがたくさん言われている。
でもそれはとても寂しい。恋愛や人を好きになること以外に大切なものってなんかあるの?と思う結局この世界は愛でできてると思うんだ。

すべて最終的に行きつくところは愛である。親からの愛、人から愛されるということ、好きになるということは愛が生まれるということ。

人間の根本にあるものは愛なんだこれはずっと昔からそうなんだ。永久不変の真実だ。
愛が世界を変える。これは真実だと思う。


5.1人で行動できるようになれ
1人じゃ映画にも行けない、本屋にもいけない、旅行にも行けない、

なんでも1人で行けるようになるのが大切だ。
この自由な時期に1人でどこでもいける贅沢を知って欲しい。

友達と一緒じゃなきゃ無理という気持ちもわかる。
でもこれからの人生いろんな選択をしないといけない。

人生は人に決めてもらうんじゃない。結局最後は自分である。
その足掛かりにいろいろ1人でやってみるんだ。

言っておくが1人遊びはおもしろいぞ。

 

 

 

6日本の学校はサラリーマン養成所?

乙武洋匡さんツイッターでこんなことを言っています。

 

本の学校は、言わば「サラリーマン養成所」。だから、サラリーマンに向いていない子や、そもそもサラリーマンを目指していない子にとっては窮屈な場所でしかない。日本で起業家が少ない理由も、そのあたりと関連しているのではないかと、わりと本気でおもっている 

 

スティーブジョブズビルゲイツ発達障害だと言われている。もし彼らが日本のような「サラリーマン養成所」で教育を受けていたら、はたしてアップルやマイクロソフトはこの世に誕生していただろうか。翻って、日本の教育は国際的に活躍する可能性を秘めた子どもの才能を潰してはいないだろうか。 

 

もちろん、「企業家>サラリーマン」などと優劣をつけて考えているわけではない。ただ、人には向き不向きがある。あきらかにサラーリマンには向いていないだろう子どもさえ、あたかもそこしかゴールがないように追い込まていく。世の中にはもっと様々な職業があるし、様々な生き方があっていい 

 

 

大学にこれがしたいから入ったって人は多いだろうか?

とりあえず大学に入った人が大半ではないだろうか?

俺は今大学生ですが大学自体に行く意味はあんまないかなと思う。友達ができるくらいかな。それと先生との出会いかな。それ以外はほとんどムダ。あとは自分で考えてしたいことするだけってな感じ。

流れに身を任してなにも考えず、周りの雰囲気に身をまかしていく。それではなにも自分の中から生み出されない。

これからの時代、高度経済成長期みたいにこれが正解です、お金を儲けてこれを買いましょう。てな考えはもうないわけで。なにごとも成長が止まってきている中で、今自分の頭で考えることが必要だと思う。日本は世界で一番最初に高齢化する国と言われている。世界で一番最初に爺さん、婆さんが半数を占めるんだぜ。これを最初に経験するのが日本なわけ、世界をリードするために日本はしなければいけないことがたくさんある

 

1つの考えに固執するんじゃなくていろんな世界をみることが大学時代には必要なんじゃないかな。大学なんてとりあえず単位とって卒業できればいいわけで、

俺の考えは「4年間時間を買った」と考えている。

だから時間は大切にしようと考え生活をしている。

バカ高い授業料払って無駄なことに時間を使うことはもったいなすぎる。

一番言いたいことは、

時間を大切に生きましょう

 

ということです。

 

 

以上,童貞ではありませんが、彼女いない歴21年、今就活を控え。就活しないと決め、

単位がとてもひどい状態で、卒業が危うい奴。の小言でした。。。

 

 

 

本を読む人だけが手にするもの

本を読む人だけが手にするもの

 

 

世界三大宗教から学ぶ 2

キリスト教というのはユダヤ教とどこが違うのか?

なぜキリスト教が世界に広まったのか?

これを書いてみます。

 

ユダヤ教に反対してキリスト教が生み出てきた。

 

キリスト教は人の「心」や「内面」の所で人を引き付ける魅力があった。

それを別の言葉で言うと、「神の息吹」のような「神の光」が入ってくるということ。

キリスト教ではこの神的なものが入り込んでくるはたらきを「聖霊」と呼んでいます。

神は超越的で、人は神を感じることも知ることもできないのに、人の中に神的なものが入り込んでくる。人はそれを手がかりに神や神の国に近づき上昇していける。

その過程で重要な役割を果たすのが、「聖霊」によって注入される「神への愛」です。

その「愛」こそが、人間に潜在する神的なものの可能性を最大限に高め、神や神の国への接近と上昇を可能にするのです。「罪びと」にも「聖霊」が訪れて、神的なものが吹きこまれるかもしれない、などという発想は、細かく厳しい戒律を守って救済を待っているユダヤ教イスラム教からは普通出てこないでしょう。

 

人と神の距離感がキリスト教は近いということですね。

崇拝する神が近くに感じられしかもその神の教えが分かる。その教えを持っていれば

天国にいけるといことです。

 

 

キリスト教にもっとも影響を与えたギリシャ哲学

 

ギリシャ哲学の中でもピタゴラスプラトンの哲学がキリスト教に影響を与えたと考えられています。

彼らは感覚で捉えられる現実世界を超越した「イデア」の世界にこそ真理があると考え

現実世界は感覚に囚われた仮象の世界に過ぎず、私たちが現実だと思っているものは、イデアの影にすぎないと考えた。

 

イデア」というのは例えば犬とか、猫など思い浮かべてくださいと言われたら、

どんな動物かわかりますよね?

それって人間みんな共通してわかることですよね。

でもなぜ猫とか犬とか想像することができるのか。

それは「イデア」が猫とか犬とかにはあって「イデア」があるからその存在を知ることができる。

 

イデア」は感覚では捉えることができない。しかし、確実に存在する。それを探りあてる能力が、なぜだか人間には備わっている。そして、「イデア」に恋い焦がれる「愛」に導かれて、それを発見し、それに向けて自らを高め接近していくことができる

 

 この考えに神を当てはめるとキリスト教の考えと似た思想になる。

そしてキリスト教はこのギリシャ哲学に「神」と人間に神的なものを注入する「聖霊」を加えた。

 

この考えは17世紀の哲学者デカルトにまで脈々と受け継がれている。

デカルトは「疑う、ゆえにわれあれ」ということを言った。

 そしてそれは疑いをもつことは不完全な自分を知っているからで、なんで不完全な自分を知ってんの?それは完全なものを知っているからだ。ということを言った。

デカルトはこう結論づけた

「神なる本性によって、私のうちに注入されたのであるとしか考えられない」

それによって神は存在すると言った。

人間は神的なものを注入されているがゆえに、神に接近していける。

神から与えられた人間の可能性を最大限に引き出して、神に向かって上昇していかなければならない。

 

こういう考え方がヨーロッパを覆っている。

だからキリスト教を学ぶということは世界の人の考えを知ることになるわけです。