「若者たちは」何者かになりなさいという声に殺される一度殺される。
「何者にもなれない」と嘆いている記事がホットになっている。
大学生になるとあの「シューカツ」が始まる。
そこで将来のことを考え始める。
急いで、ネットやら、本やら、友達やら、先生やら、ぎゅうぎゅうに詰め込んで自分がやりたい何かを見つける。
自分がやりたいことは何かと考えてもどうせ答えは出ない。
きっと未来は暗い海のような風景しか見えないだろう。
まあこの好景気で仕事はすぐに見つかる。
しかし、多分職場に入って思うが、自分のやりたかったことと違うことに気づく。
そこからは我慢我慢で、心は一度ポキっとくじけるだろう。
我慢の先にあるのは、希望か、退屈な二つの未来しかない。
たぶん、「シューカツ」でやりがいのある仕事だとか、仲間だとか、夢のあることしか企業側が見せないから入社してギャップが大きいのかも。
あまりにも先が見えるから、見えていると思ってしまうからよくないのかもしれないかも。
何者かになった人の声が大きく聞こえてしまう現代だから、僕たちも生き急がないといけないと思ってしまうのかも。
結局、才能なんてものはあまり関係なくて、積み重ねてきたものだけがきっと見える世界があるのかも。
好きなことを見つけるなんてのは、ちょっと大げさなことなのかも。
なんでもない日常に、少し楽しめる何かを見つけるくらいがちょうどいいのかも。
まあ若いんだしグダグダ言いながら歩いて行くのがいいのかも。