江戸時代が人類史上もっとも幸せだったわけ
江戸時代にロマンを感じます。
人々は陽気で、楽しそうに、活気にあふれている。
なぜそんな風になったのか
それを見ていきます。
否定されてきた日本の歴史
日本の歴史は国の中に根付いてないです。
昔の出来事は捨てるもの、乗り越えていくものだと思っています。
なぜなんでしょう。
いつの時代から歴史は否定されるようになったのか。
その最初は江戸から明治に移るときに起こりました。
チェンバレンという外国人が江戸の末期にやってきてこういうことを言っています。
新しい教育を受けた日本人のいるところで、諸君に心から感嘆の念を起こさせるような、古い奇妙な、美しい日本の事物について、詳しく説いてはいけない。
一般的に言って、教育のある日本人は彼らの過去を捨ててしまっている。彼らは過去の日本人とは別の人間、別のものになろうとしている。
これは明治時代に移りかわろうとしている時期に言われた言葉だ。
日本人は西洋の国から日本を賞賛されることを嫌うということがでてきた。
これは戦後の産物ではない。
歴史の否定から西洋に追いつくために努力をした日本
世界に追いつく為に努力し、結果的には世界を代表する国となった。
今の日本は幸福な国と表面的には見えるが。
歴史を捨て、西洋をまねすることは正解となったのだろうか。
「新しい」だけを思い求めて「古い」は捨てる。
この考えに移ってから新しい日本に変化した。
日本の文化は古いものや、自然を大切にするものだった。
それを急な方向展開に向かっていったのだ。
今の日本に自然はあるが、都市はほとんどがコンクリートジャングルになってしまったではないか。
自然は守るものではく、違う建物へと変化させられる。
それによって歪みが生まれたともいえる。
江戸時代とはなんだったのか?
逝きし世の面影の中では様々な外国人の人の文献などを参考に近代化される前の日本を描いている。
その中で外国人はほんとにみんな日本を絶賛している。
びっくりするほど。
古い日本は妖精の棲む小さくてかわいらしい不思議の国であった
このような奇妙な国というのが認識として西洋の人はもっていた。
珍奇なというのは、そのような日本の特質、彼らにとってのたんなる異文化というのではない、彼らの見聞からして世界中に類似するもののないような独特な文化に直面したとき、思わず口をついて出た言葉だったのだ。
世界から来た外国人は日本のすごさに驚かされるばかりだった。
どのような点が日本はすごかったのだろうか?
幸福な人びと
欧米人が日本に来て感じることは国民の満足していて幸福そうだという印象だった。
オズボーンは江戸上陸当日「不機嫌でむっつりした顔にはひとつとて」出会わなかったというが、これはほとんどの欧米人観察者の眼にとまった当時の人々の特徴だった。
天真爛漫という言葉が似あう人間が国民の性格だったと見える。
日本の国民は楽しそうに見え、生き生きとしていた。
なぜなんだろうか。
それは日本がまだ近代化という他の国でどんどん始まっていることが起きておらず、
人間らしい生活があったからだ。
人間らしいとはただその日暮らしで、ぺちゃくちゃ人と話し、少しだけ仕事して、
好きなことをするそんな当たり前のことが行われていたのが江戸時代だったのだ。
近代化には大きなウェイトに時間とお金がある。
お金貯めて、ローンを組んで贅沢品を買う。
それによってローンを払うために働かなくてはならない。
これは普通の人間の中に組み込まれてしまったのだ。
未来に対して恐怖を抱いている人間は今の世の中ごまんといると思う。
だからこそ江戸時代の人々は幸福だったのだ。
明日のことは考えず、日々今の楽しいことをすうる
もうこんなその日暮らしの生活は現代では考えられないだろう。
私はこれらの優しい人々を見れば見る程、大きくなり過ぎた、気のいい、親切な、よく笑う子供達のことを思い出す。ある点で日本人は、あたかもわが国の子供じみているように、子供らしい。ある種の類似点は、まことにおどろくばかりである。重い物を持ち上げたり、その他何にせよ力のいる仕事をする時、彼らはウンウンいい、そしていかにも「どうだい、大したことしているだろう!」というような調子の、大きな音をさせる
ゆたかな生活
江戸時代は幕藩体制などにより、きつい年貢などがかせられていて、国民はさぞ貧乏な暮らしで、家は朽ち果て、食べ物も少なく、最悪な暮らしをしていたのだろうと想像するだろう。
それは全く違う認識なのだ。
柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。世界のあらゆる国で貧乏にいつも付き物になっている不潔さというものが、少しもみられない。彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている。
下田という貧困の村での言葉だ。
それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困っていない。それに家屋は清潔で、日当たりも良くて気持がよい。世界のいかなる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい。
中略
私はこれまで、容貌に窮乏をあらわしている人間を一人も見ていない。子供たちの顔はみな満月のように丸々と肥えているし、男女ともすこぶる肉付きがよい。彼らが十分に食べていないと想像することはいささかもできない。
なぜ思い重税の中でこのように豊かな生活ができたのか。
1.幕府のおこなった検知の数値が一回だけのもで税を取られていたkら
幕府の検知は1度しか行われなかった。農民たちは勤勉でよく働いていたので日々収穫量は多くなっていた。だから税の量は変わらないが収穫の量は変わるから自分たちが食べれる量は増えていった。
2.勤勉な国民性
日本の勤勉な国民性により、農産物の収穫量は年々増えていった。
周りの環境も人々が日々入念に手入れをすることで保ことができた。
幕末から明治初期にかけて観察者がひとしく認めた、前工業化段階としては最高の経済的、物質的繁栄は、まさしく「勤勉革命」の成果だったといえるだろう。
江戸時代を想像したのとは全く違った現実があった。
それは工業化される前の人類としては最高の状態だった。
外国人が見る日本で他にも言われていることは貧乏がいないということだった。
外国ではひどい匂い、格好をした浮浪者がだくさんいた。
だがそのような人が日本にはいなかったのだ。
なぜ、チェンバレンが日本には「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言ったのか、その理由を理解することができる。衆目が認めた日本人の表情に浮かぶ幸福感は、当時の日本が自然環境との交わり、人びと相互の交わりという点で自由と自立を保証する社会だったことに由来する。
中略
一言にしていえば、当時の日本の貧しさは、工業化社会の到来以前の貧しさであり、初期工業化社会の特徴であった陰惨な社会問題としての貧困とはまったく異質だった。
国民には自然があり、分け合いながら過ごした。
西洋のように個人という考えが薄かったこともあるんだろう。
個人というソトの世界とウチの世界がはっきり分けられる場合だと、分け与えるということ考えがあまり持てない。
だが個人ということがないから日本の場合では、みんながみんな友達といったような考えになり分け与えることができたように思える。
まとめ
江戸時代の人たちはなんだかとてもチャーミングに見える。
この本の中でもおもしろい話がたくさん出てくる。
質素で、礼儀はみなきちんとしており、みんな仲良く、わいわい、がやがや、仕事はしたくなくて適当。仕事は遊びという職人気質の人が多く、家はきれいで、自然を大切にする生活品にはきれいな装飾が施されている。
素晴らしい日本が江戸時代にはあった。
だが、そのような時代はもう来ない。
消えてなくなってしまった。
文化は滅びることなく、変容するだけのものだが、生活様式などに示された文明は滅びるものと考える。
今世界にある文明というのはほとんど存在していない。
生活にあらわれる文化というものだけしか残っていない。
グローバル化によって国々は同じ世界に変化させられる。
果たしてそれがいいことだろうか。
インターネットがそれをさらに加速させる。
その先に幸せな未来はまっているのだろうか?
一度立ち止まって考えることが必要ではないか。
人間にとって幸せはなにか?
考える、答えはない。
答えのある世界はこれまで一度たりとも存在したことはない。
あると思っていたのは幻想でしかない。
常に未来は変化する。
歴史は勉強するものではない。
自分の体に刻むものだ。
歴史から見えてくるものを自分なりに見てそこから未来に向けてなにができるのかを考える。それは自分だけの道を作るということだ。
今の日本には危機感しか感じない。
最近のテレビでは日本大好きな番組が多く放送されていて、なんだか気持ち悪い。
歴史を否定してきたのに、ここに来て日本大好きなのである。
急な方向転換だ。
日本には歴史の教育があまりにも根付いていないことは問題だ。
なぜか。
それは日本が今まで自発的に歴史を捨ててきたからだ。
歴史を知らなければ同じ過ちを繰り返してしまう。
歴史を否定するという日本という根っこを引き抜き、日本という根っこがないままに、花の部分だけはきれいに咲いている様に見えるが、実際は日本という花は見た目は良いだけで死んでいる。
果たして20、30年後に日本という花は地球に咲いているのだろうか?