明治政府 日本史上最大のずぶずぶ政治。
学校で行われる歴史の授業では、本当の歴史は教えてくれません。
日本では良い部分しか教えてくれません。
本当の歴史を知るためには自分で学ぶしかありません。
なぜ日本は戦争をしたの?天皇とはなにか?
あなたは説明できますか?
真実の歴史を知ることはとても大切だと思います。
真実を知るとは悪いところも良いところも両方みることだと思います。
現代にあふれている日本大好き民。
自分の国はこんなにも素晴らしいということをテレビを通して、メディアを通して発信されている国は他にはないでしょう。
日本からだけの眺めではなくて、外から見た眺めも必要です。
外から見た視点を知る為に、歴史を学ぶのです。
今回は明治政府を取り上げます。
徳川幕府から政権が移り、薩摩、長州、土佐藩を中心とした武士が政権を握り、明治政府はスタートされました。
どこがずぶずぶなのか見ていきましょう。
明治時代の「軍国主義」、「財閥」はどのようにして生まれたのか。
明治政府のスタートは戊辰戦争を経て徳川幕府を倒したところからスタートしました。
明治維新は1868年の幕末の出来事でした。薩摩藩と土佐藩の武士が中心となり行われました。
彼らは普通の武士でした。
これこそが問題の根源だった。
武士が中心となって政府を運営するには問題があった。
それは財務能力がまったくないことだった。
政府は運営のお金のことがまったくもって分からなかった。
明治政府は財務という所がすっぽり空いていたのだ。
彼らに変わって日本経済を動かし始めたのが商人財閥だったのだ。
この時代に続々と、民衆を金で支配する「財閥」が形成されたのである!
なぜ商人が支配力を握ったのだろうか。それは、明治政府の幹部に、商業に通じた者が一人もいなかったからである。
財閥が実権を握った。
その中心が三井と三菱であった。
なぜ三井と三菱が生まれ実権を握れたのか見ていこう。
三井財閥はどのように誕生したか?
江戸に三井両替商があった。これが三井財閥に変化する元店だ。
ある日、三井両替商は政府のお偉いさんの小栗上野介という人物から軍費として莫大な資金をよこせと言われた。
その金額を払うと破産してしまうことを意味していた。
これは困ったな。どうしようかなと悩んでいる時にある人物に助けを求めた。
その人物とは美野川利八という人物であった。
会話シーン
美野川は小栗家と中の良い人物であった。
三井 「美野川くん小栗家に話をしてくれんか。あんな大金うちでは出せんのだ」
美野川 「はーそうですか。まあ話してみましょうか」
そうして美野川は小栗家に話をして三井家は奇跡的に助けられた。
三井 「ありがとう。美野川くん。お礼に三井家に入ってくれんか?手厚い報酬をあげるよ」
美野川 「ぜひ三井家に入らせてもらいます」
こうして美野川は三井家にヘッドハンティングという形で入っていった。
その後三井は幕府に商才を認められ、大きく成長していった。
そして美野川は名前を変え、三野村利左エ門となり、三井の中心人物となった。
ここから三野村は才覚を表し、三井財閥を築いていく。
三野村「なんか最近徳川幕府しょーもないし、先がなさそうだな。新政府ができそうだからお金が欲しいとなったら融資してあげよう」
三井は巨額のお金を新制府に融資した。
ここから新政府を支配する三井が動き出した。
財政に弱い新政府に気づいた三野村はお金をたくさん貸しておけば、新政府の財務の主導権をすべて握ぎれることに気づいていた。
そして三井は新政府の財務を総なめにしたのである。
この三野村利左エ門は最強に頭が良く、腹黒い男である。
こうして三井は政府の中心となっていった。
三菱財閥の誕生。最強の横領の男 岩崎弥太郎
廃藩置県が行われる中で、三菱財閥を生み出した。
土佐藩の仲間、後藤象二郎がある問題を起こす所から話ははじまる。
会話シーン
後藤 「やべえ、今土佐藩めちゃくちゃ借金あるんだ」
後藤は外国商人に大きな借金をしていた。
後藤 「すまんが、岩崎。土佐藩を助けてくれんか。俺の力ではどうしようもできん」
岩崎 「そうですか。じゃあそれなら条件があります。長崎にある土佐藩の財産を僕にくれたらどうにかしてあげましょう」
この願いを聞き入れ岩崎は財産を手に入れた。
その後、岩崎は坂本竜馬が殺されると、後藤が長崎に持っていた財産と竜馬から託されていた7万両を全部頂いた。
それから岩崎は大阪にある土佐の会社を貰い、運営し、土佐藩の開運事業も握るようになった。
これにより土佐藩所有の船舶などの財産が岩崎の所に収められた。
そして、岩崎は巨額の財産の受け皿となる会社を設立し、公有財産が私有財産になるまで作業は積み重ねられた。
そして最後に明治6年3月に三川商会を三菱商会と名前変え、これによって三菱財閥が生まれた。
土佐藩の借金はどうなったのだろうか?廃藩置県の本当の狙い
同じ時代に、薩摩藩、長州藩も莫大な借金を外国商につくっていた。この金によって大量の武器を買い込み、武力クーデターで明治維新を成し遂げた。
明治4年の廃藩置県によって、薩摩藩も土佐藩も長州藩も、藩が消滅したので返済の義務から解放され、藩積処分の名のもとに、明治政府が代わって支払うことになったのである。
しかし明治政府要人が自分の金で払ったわけではない。彼らは、莫大な金額の徴税をおこない、農民から集めた血税をもとに、政府の金庫から外交商に支払ったのである。
廃藩置県には借金をちゃらにするという狙いがあったのだ。
自分たちでは払わず、国民に払わす。
なんて残酷なことをするのだろうか。
血も涙もないのが明治政府だった。
三井と三菱はその語日本の主要の産業を共に経営していき、一つの大きな塊になっていく。
こうして、金銭第一主義と名付けるべきひとつのかたまりが形成された。
この集団的な明治思想を生み出した根源は、文明力、機械化において日本よりはるかに先を歩んでいたアメリカ、ヨーロッパに追いつこうとする軍国主義と工業思想にあった。
どうだろう。
明治政府がずぶずぶ政治だったことが分かるだろう。
金が政治を支配する。
そのお金と結びついた政治の暴走は止められない。
商人が政治をするとろくなことにはならない。
明治政府の暴走が国民を操り、戦争に向かわせ、日本を破壊していった。
その間違いに向かっていった根源には明治政府があったのだ。
日本現代史入門を参考に書きました。