豊かさとは何か。 日本の豊かさははき違えている。
豊かさとは何か 暉峻淑子著
目次
1.金持ちの国.日本
2.西ドイツから日本を見る
3.豊かなのか貧しいのか
4.ゆとりをいけにした豊かさ
5.貧しい労働の果実
6.豊かさとは何か
日本はなんでお金とモノが豊かなのになぜ生きづらいのかそんなことを考えていたら
いい本に出会えました。
日本の豊かさが、じつは根のない表面的な豊かさにすぎず、板子一枚には地獄が口を開けており、砂上の楼閣のようなもろさに支えられたぜいたくが崩れ去る予感を、多くの日本人が心中ひそかにかんじているのではないかと思われてならない。
日本は治安はよいが、基本的なところで安心のない国
日本は心の安心を得ることが難しい。仕事がなくなったらもう終わりなどという不安が消えることがない。これがひとつの問題である。
豊かさに憧れた日本は、豊かさへの道を踏み間違えたのだ。
毒を制し、コントロールするには、抗体としての強い「個」と、社会制度を、技術革新と資本力におくれないように育てていかなければならない
きれいな街並み、快適な住居、そして豊かな文化遺産と充実した社会施設がある。こういう生活環境のよさや時間的余裕は、彼らが自らの哲学に基づくいろいろな政策を長年実行してきた結果、作り出されたものだ。
著者はドイツで実際に生活をしてみて、明らかに日本とは違う豊かさがあるという。
ドイツは資本主義に対してきちんと対抗しようという考えがある。
お金が社会を覆う世界では人間と社会と自然を破壊するというのに気ずいている。
だからこそしっかりとした社会の基盤を作っている。
圧倒的に日本と違う。そりゃ生活のゆとりが全然違うわけである。
日本は先進国であっても、ほんとうの豊かさはなく、ただの経済競争国である。
その経済戦争の中に、ぼくたちもいずれ入らなければならないということは、なんともむなしいことか
これから社会に出るにあたっての気持ちを代弁してもらったような言葉だ。
社会に出ようとしている日本の若者でこのように考えている人は多いと思う。
日本の社会の歯車になって働き、仕事ができなければすぐに切り捨てられる。
そこには自由というものが存在しない。むなしい世界しか僕には見えない。
幸福な、豊かな社会とはどんな社会なのだろうか、
ガルブレイスは、生産効率主義から脱却できたときに、つまりその強制から解放され自由になったときにはじめて、人々が考えることのできるもの、
日本の社会は、経済成長の楽しみ以外に、それに代る社会の幸せや、豊かさの哲学を持っていない社会なのだ
街には広告の看板があふれ、人々は広告に踊らされていると思う。
広告によって欲望を掻き立てられる。そんな社会では幸福になることはできない。
現在、私たちは、私有財産制度のうえに、完全に個人として生きていると思いがちである。だから自己責任とか、自立自助、契約の自由等については、当然のこととしてあやしまず、また個人として生きるうえにとくに支障はない、と考えている。
しかし、個人の自由が、じつは共同体的な土台を、自然環境までひろげて考えれば、
その意味はいっそう明白になる。
この共同体としてという考えが圧倒的に日本には足りない。自分もこの考えはなかった。かなり横柄な個人主義が日本にははびこっている。
アイヌの人びとが、「富を貯めるとは各個人の蔵にモノをためることではなく、大地を豊穣に、豊かにし、自然の中に富を貯めることだ。」
この言葉こそ今必要なのではないか。個人がため込むことではなく、みんなに還元すること。お金は天からの回りものというが、自分のところで止めるのではなく、みんなに回すことが必要なのではないか。
「カネもうけ」、「モノを買うこと」という、持つことだけに表現できる豊かさではなく、持つことが、人間と人間とのかかわりを豊かにし、人間と自然とのかかわりを豊かにし、人間とのかかわりを豊かにできるような豊かさを私たちは、どのようにして創り出していったらいいのかを、真剣に考え実現していきたいと思う。
日本の行き過ぎた経済は国民を幸福にはしてくれない。
裕福に憧れた日本はもう憧れの裕福を手に入れた。だがそこには人間が置き去りにされた社会がある。
少し成長のペースを落として、次は人間の幸福ということをもっと考えなければならないと思う。
お金だけじゃ幸福にはなれないと今の日本は気づきはじめているのではないか。。
これからの日本は世界で初めて超高齢化の国となる。福祉などの充実など考えることはたくさんある。
国を変えることは難しいが、1人1人の思考を変えることはできる。
個人の行動や、思考を変えることが国を変える力になるということ信じている。